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長篠、設楽原

JUGEMテーマ:日記・一般

茶臼山高原(標高1200M)の紅葉は終わっていました。翌日はいつもの通りの雨(雨男ですから)、天気が良ければ茶臼山にでもと考えていたのですが、武田勝頼が長篠城を攻めるために南下したと言われている151号線(別所街道)を下り一路長篠城へ、長篠城跡は深く切れ込んだ川(豊川、宇連川)が合流し小さな疏水が流れる天然の要塞

茶臼山より下山してきたところ(標高1000M位)の紅葉 

長篠城跡資料館では当然種子島(火縄銃)の展示が多く、鉄砲玉

元込め銃の火薬を入れる道具

火縄の火を保存する胴火

少し離れた設楽原資料館 こちらはもっとたくさんの種子島を展示

有名な堺の国友

馬上筒もたくさん展示

紀州筒というのもあり 雑賀一族が持っていたものでしょうか?

国友とあまり違いが判りませんでしたが、ポルトガル商人から種子島に2丁渡った火縄銃の内1丁を紀州住人津田監物が持ち帰り、堺の国友に作らせ日本中に普及。

長篠設楽原の合戦では3000丁の鉄砲が使われたと言われています。

 

帰りに連吾川(小さな疏水)を挟んで両軍合対峙した場所に、当時日本最強の武田騎馬軍団を防ぐ馬防柵を再現していたので、立ち寄り帰宅

教科書に必ず出てくる合戦絵図

森が見える方が武田の布陣、写真を撮っている方が織田、徳川の布陣。雨でなければゆっくり回って観たかったですが。

 

 

author:間伐屋木左衛門(かんばつやもくざえもん), category:-, 07:46
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