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大東亜戦争の戦死者の資料

JUGEMテーマ:日記・一般

昭和20年1月3日蘭仏(インドネシア)方面で戦病死とだけ墓石に刻んである、伯父(父の兄)の終焉の地がわかりました。

 

調べていただいた厚生労働省社会・援護局 援護・業務課調査資料室資料第三係の担当の方に感謝申し上げます。

IMGP4859.jpg

20年と言うと敗戦の年。あと7か月で戦争が終わっていた年で戦況が悪化する中、しっかり資料が残っているというのは少し感激しました。

本当にありがとうございます。

 

お墓には通知のみで遺骨やその他の物は入っていないようですが、戦地に向かう際に兄妹に遺品として置いて行ったのは、素潜りの得意だった叔父のワッパ(水中眼鏡)だと、聞いています。

 

祖父が先祖代々の田畑を売り朝鮮に開拓に行き失敗して住んだのが港町勝浦。勝浦で生まれ素潜りが得意で、海のない実家の知り合いが、巡航船を待っているのを見つけると時間を聞き、磯で潜って魚を突いて土産に持たせていたほどの名人と言う話を子供のころ聞かされました。残念ながら私は好きですが潜りが苦手(下手くそ)で、似なかったようです。

 

祖父や父に代わり供養に行こうと考えています。

 

author:間伐屋木左衛門(かんばつやもくざえもん), category:-, 07:30
comments(2), -
Comment
遺骨も無く戦死の通報のみでは真偽のほどが判らず70余年ものあいだ悶々たる月日を過ごしてきたことでしょう。戦死を裏付けられたので踏ん切りがつきましたね。終戦まで僅かというのが残念でなりませんが。 父母の兄の場合は「伯父」ではないですか。余計なことですが。
愛読者, 2017/06/13 6:59 AM
愛読者様へ 知りませんでした。ご指摘ありがとうございます。
間伐屋木左衛門, 2017/06/18 7:20 AM